自己紹介

代表取締役 鳥海成樹(とりうみせいき)

鳥海成樹

1975年(昭和50年)8月1日 生まれ O型

1994年 高知県立伊野商業高校 卒業
1995年 日本電子専門学校 中退
2000年 東海大学政治経済学部 卒業

2000年 最初の就職先 3か月ほどで退社
2000年頃~ パチンコ屋でバイト(鬱状態)
2001年頃~ 大手IT企業でサポート営業
2003年頃~ 不動産FC本部にてIT担当として勤務
2006年6月 アイティーレックス株式会社 創業

===============

趣味:歴史探求、PC制作(自作)、仕事、メダカ育成
性格:穏やか、大雑把、変なとこ細かい、猫好き

昔出来た今できないこと:ギター、ボクシング、バスケ
持病:バゼドー病(完治はないらしい)、ぎっくり背中

 

この投稿をInstagramで見る

 

鳥海 成樹(@seikitoriumi)がシェアした投稿

===============

<座右の銘>—————————–
成せばなる成さねばならぬ何事も
成さぬは人の為さぬなりけり。
——————————–

 

<略歴>——————————–

【 少年時代 】
高知県高知市で生まれ(祖父母の地は室戸市)。
お城の石垣を登って命を落としかけたり、ワンパク三昧。自転車が好きで、町中を自転車で駆けましてた。ファミコンとジャンプとサッカー、普通の小学生。
【 中学生の頃 】
当時、事件でニュースになるほど荒れていた中学校(殺人事件2件も)。
友人と一緒に日々街をブラブラしたり、ゲームセンターにたまったり、あまり学校に行かなくなる。暴力事件は日常茶飯事だし、地域的によくなかったのか、もう、スクールウォーズや積み木崩しのような世界。僕自身はそんなに悪くも無かったけど、それでも街で喧嘩もよくやった。時代的にヤンキーが流行ってたせいもあったかもしれない。
遅刻欠席多数に付き、進学が不可能のところ、頭脳明晰な友人達に助けられ、なんとか進学の目処がつく。
【 高校生の頃 】
なんとか入れた高校も地元ではよろしくない噂の立つ学校。中退率は県下一、3年間で1/3ほどがいなくなる。それでも荒れ果てた中学校の時よりはだいぶマシ。でもなにげに甲子園優勝高。
ヤンキー生活よりもバンドマンなどに憧れ、バイクやギターに夢中になったり。イタリア料理の配達のバイトをやりながら、学校は相変わらずフレックスタイムで楽しみ青春を謳歌する。(毎年留年の危機、卒業も当然ヤバかった。)
当時はまだ誰も携帯電話とか持っていない世代。ポケベルさえ周りにはもってなかった、超アナログ時代でした。
彼女の家に電話して彼女のお父さんに怒られるなんて、いまでは古典的な古きよきアナログ話も経験した最後の世代です。
【 専門学校のころ 】
歌舞伎町近くの専門学校に入るも即中退。ギターを弾いたり、飲みまわったりして遊びまわっていたが、ちょうど一年たったあたり、夢見る30代の先輩ギターマンが後輩に酒をねだる姿を見て人生に恐怖を感じ真剣に考え始める。(あんな大人になったらヤバイと。。。)
【 大学行くために浪人 】
堕落する息子を見て母がイキナリ上京。ふがいない姿を見て、号泣。「一人息子なのだから、大学くらい行って欲しい」と。たくさん迷惑もかけてきたのだし、お袋のためにもと一念発起して大学受験を試みるも、当然学力はほぼ無しからスタート。
僕らの世代はベビーブーマー。受験戦争はまだ存在してました。なけなしのお金を払って「東進ハイスクール」に入ったものの、授業が全く分からない!英語どころか日本語もわからない。ボクナニジン?
文系3教科、更にその中でも教科と問題をさらに絞りに絞って集中特化大作戦を敢行、戦力は集中すべし「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」。
いろいろあったけれども、がんばれば何とかなるもので、東海大学になんとか合格。ウチの高校から学力試験での大学合格は初じゃないか?と思う。
高校の友人がとても喜んでくれた。どこの大学を受けたかなんて誰にも話していないのに、ネットも無い時代にあちこち調べてて、ここも受かった!あそこに受かった!と本当に喜んでくれた。
恥ずかしくてお礼もいえなかったけれども、ありがたさやうれしさで男泣きした。
【 大学生のころ 】
東京からちょっと下りって、神奈川の東海大学で4年間過ごす。やたらめったら広いキャンパス、立派な校舎。まさにドラマに出てくるような「大学」、けれども、素敵なキャンパスライフとは行かない。
お金が無いのに学費の高い大学に入り、仕送りなしで学費や生活費をやりくりしなければいけなかったので、ひらすらバイト三昧。レギュラーバイトとスポットバイトのはしご連続(それでも奨学金返済は40過ぎまで続いたが)。しんどかったけれども、それなりに青春も謳歌し、人間やればできるさ、なんとかかんとか無事4年で卒業。
ちょうど日本経済がどん底の不景気の時期で就職氷河期。卒業単位も怪しいかったけれども、生来の要領のよさをフルに発揮し、就職活動は難なくこなした。採用内定を頂きまくり。就職活動だけはうまいったけれども、、、
【 新卒1発目の会社 】
大きな会社の内定をことごとく蹴って先物取引会社に入社。本当は当時話題だったグループ証券子会社に入れてもらうよう内々の約束で入ったつもりが、結局は先物取引会社に入社することに。
研修でも一番とって結果残したのに、大人の口約束は怖い。研修が丸々1ヶ月の監禁合宿(命がけ。脱走者多数アリ。)大阪支社配属3ヶ月の都合4ヶ月だけ在籍。泣くなよセールスカラス。
いい会社だったと思うのですが、やっぱりとてもついていけず、即退社。
生来能天気、勝気だったのに、消すことのできない鬱と破壊的な衝動状態を精神に植え付けられた。
【 失業挫折時代 】
その後、就職活動を続けるも、大学生時のバンバン内定とったようにはいかず、断られ続け、面接では説教受け続け、鬱状態になってしまう。就職活動で資金尽き果て、地元に帰る。それでも生きていかなければららないのでパチンコ屋でバイトしました。地元の友人に合わせる顔も無く、あまり記憶もないまま、鬱気味に時間を無駄遣いしていました。
そんなおり、1年くらいたったころ、大学の友人から電話で「そこで腐っていてどうする!お前はそこで終わってはいけない!」と。アパート借りる資金を用意してくれる。
【 再上京 】
手持ち財産20万円だけを持って東京へ。仕事探しの猶予は1ヶ月。(1ヶ月10万円で生活して、最初の給料出るまで残りでしのごうと。)見つからなかったら、またトヨタの期間工にでも行けばいいと思い、必死で探すと、面接にいった人材派遣の支店長がやめた会社出身の人でかなり同情してくれ、派遣だけれどもと某外資系巨大IT企業を紹介してくれる。なんのスキルも社会人経験も無い20代中盤のニート男をIT企業の女ボスが「同情」で入社させてくれる。大企業でサポート営業を開始。
大企業の基幹システム、複雑極まりない契約類、聞きなれない用語、さっぱりわからない中だけど、一生懸命やればば何とかなるもので、自身のがんばりもあって、職場でも一応使える男になる。ここでネットのスキルもビジネススキルも全部もらった。大きすぎる契約も、複雑怪奇な契約もガシガシ処理し、「とてつもない売り上げ」も作りまくったが、やっぱり一流外資の正社員になるチャンスはなさそうなので、独立してみようと思い始める。
【 不動産FC本部へ転職 】
FC店舗でもやろうか、大学時代に身に付けた飲食業のスキルを使うかと思っていたところ、不動産(売買仲介専門)FCを見つける。父が宅建持ってたし、不動産のFCなんて聞いたことが無かったから、どんなものか聞くつもりで面接を受けに行く。
電話で先方もあぁーいいよーみたいな適当な感じだったが、そこの社長と話をすると、この業界で一番遅れているITの部分を担当してほしいとのこと。
社長は伝説の営業マン、話し口調には大変惹かれるものがあり、面白そうなので、お世話になった会社を円満退社し、不動産FCへ。
入社するなりイキナリ現場で修行してこい!の指令をもとにFC加盟店にて不動産営業(売買仲介)を手探りで開始。
広告反響はもらえず、チラシの手撒きと 現地売り出し、などなど店頭呼び込み(ポン引きスタイル)で集客。何もわからなかったけれども、わずか2ヶ月で買い2契約・売り2受託。(知らない土地で「反響ゼロ」でよくやったなぁと今でも思う。)
小さな本部を志向している会社だったので、なんでもやった。社長もすばらしい人だったので、大いに活躍させていただき、約三年でいろんな経験・人脈構築をさせてもらう。
【 独立 iT-REX 設立 】
不動産FC時代の同僚であり親友と一緒に、WEBマーケティングコンサルティングのアイティーレックス株式会社を設立。
大手中小問わずコンサル、HP・システム制作、宅建協会での講演などなど様々な仕事を経験させていただく。
【 結婚と娘の誕生 】
結婚を機に長らく済んだ神奈川を離れ京都に移住。移住理由は嫁が京都住まいだったからというだけの理由。もともとリモートワーク状態だったこともあり、また結婚せずぐずぐずしてた僕を見かねて、嫁が家を買うという暴挙に出て(神奈川に家もあるのに、ダブルローンで、、)結婚を迫られる。
結婚後すぐに妊娠発覚するが、出産数か月前に嫁が入院。高齢出産の影響か、子供がおなかで育ち切らないうちに早産の危険があるとのこと。出産を止める薬を打たれて嫁は危篤状態が続く。医者には母子ともに危険との説明をひとり受け続ける(おれ鬱再発)。いよいよ薬でも止められず、早産(3か月早い)で1600gだったためNICU(新生児集中治療管理室)に入院、医師曰く「基本助かりませんががんばります」とのこと。ダメだったらとうちゃんもいっしょにいくからなと覚悟を決めるが、何とか無事に(いまでは同年代よりもデカい)。
【 コロナ騒動を経て会社移転 】
もともとリモートワーク体制で仕事をしていたので、私(鳥海)の京都移住を機に本社も京都の新築3階建てに移転。コロナ以後から数年間行方不明だった父の死去やバゼドー病の発覚(しにかけた)などもあったが、がんばって何年も放置してたブログもこうしてリニューアルして再開。

 

独立後、いろいろありました。
あちこちで講演させてもらったり、テレビにも雑誌にも新聞にも出たしでも事業としてはやっぱ失敗ばっかりかな。
お客さんを儲けさせることは得意なのに自分たちが儲けるのは下手。
でも、営業・経営のコンサルの質なら日本一だと自信を持って自負してます。(中小零細不動産業の経営相談訪問ではたぶん日本一でしょう)

まだまだ道半ば。波乱万丈はまだ続くでしょう。人生なんてちっともラクじゃない。

でも、めっちゃくちゃ、おもしろい。

僕の学んだこと、知りえたノウハウ、いただいた幸せ、多くの方に分けてあげたい。
正直に一生懸命商売する方と一緒に生きて生きたい。
みんなが良くなり、仕事に励み、顧客に支持され、お金も儲け、そういうよい循環がたくさんできれば世の中はきっと良くなることだと信じています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

Toriumiをフォローする
アイティーレックス株式会社